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2009年5月13日 (水)

『闇屋になりそこねた哲学者』

この本、某所で紹介されてたんだけど、著者が「昭和20年夏、江田島の海軍兵学校にいた」というので、購入。江田島といえば広島。ウチの先生がたとけっこう近い場所にいたんだなあ、と。

以前から、ハイデガーの研究者で中央大の先生でもあった木田元氏の本を読んでみたいと思ってはいたんです。いちおー、私も哲学科出身だし。広大に落っこちてたら、中央大の哲学に行ってたはずだし(入学手続きもしてた)。

ただ……ねぇ。モノがハイデガーだもんで、ひっじょーーーーに敷居が高かったんですよ。「ハイデガー=超難解」っていう刷り込みがあったし(その刷り込みは間違っていなかったことがこの本を読んでわかりました)。

そんなこんなで、ずっと手を出しかねていたんですが、某所の記述によれば、この本はエッセイで、しかも読みやすいという。それで、ソッコーお取り寄せと相成ったわけです。

フツーにエッセイとして読んでも面白かったけど、元・哲学科の学生の視点で読むと、これまた面白い。てか、なんで哲学科の先生って、こんなに似てるの~!?

もちろん、東京と地方とではいろんな事情が違うと思うんだけど、それでも、哲学科の先生がたの顔が脳裏をよぎりまくりですよ。

で、闇屋になりそこねた木田先生に一番似てると思ったのが、学園紛争の時代にバリケードをかいくぐって研究室に潜入し、古い資料を風呂敷に包んで持ち出したN川先生。なんでも、昔の資料って使われてる紙のせいで水に濡れると一発でダメになるらしいんですよ。で、警官隊が放水でもやらかしたら、貴重な資料がすべて失われてしまう、というわけで、N川先生は深夜、決死の潜入を試みたんだそうです。当然、学生に見つかればフクロにされるは必至。

まあ、木田先生は終戦直後の混乱期で、N川先生はそれよりずっと後、持ち出したモノも米と本という違いはあるわけですが、なんていうか……似てると思ったんだよねぇ。仮にお二人を入れ替えても、双方とも難なくミッションクリアしてたであろうあたりが(笑)。

とまあ、哲学に関係ないエピソードも面白かったんですが。一番ビックリしたのがですね……。

「ハイデガーは実存哲学とはちがう」

という一節。

えええええええええ!? だって、私ら、高校の社会科で、「ハイデガーは無神論的実存主義」って習ったよ? 模試にも出たよ? たぶん、入試問題にも出てると思うよ?

その根拠もちゃんと書かれていて、「なるほどね~」だったのですが(ヒント:「ハイデガーは実存哲学とはちがう」であって、「実存哲学ではない」ではない)。

でも、ビックリした。んでもって、卒論にハイデガーを選ばなくて良かったと、つくづく思った……。


[本日の食卓の話題]
「私メリーさん。今、あなたの後ろ(or家の前)にいるの」の対処法について(後ろ蹴りすりゃいいんじゃね? アヴドゥルみたく玄関ガラスに飛び込めばいいんじゃね?等々の案が出たものの、どれも決め手にならず)。

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