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2010年3月 8日 (月)

『私と僕が生きた道 性同一性障害と向き合った29年』

半分は表紙につられて、残り半分はテーマに興味があるので買った本。第4回幻冬舎・フジテレビ共催感動ノンフィクション大賞受賞作、だそうです。

http://www.bk1.jp/product/03244436

以前、やはり性同一性障害の著者の本を読んだときも、「書いてくれてありがとう」と思ったのですが、今回はそれをさらに強く感じました。

「女の世界」の生きづらさやストレスが実感としてわかるってこともあると思うんですが(著者は心が男性なだけに、つらかったと思います……)、赤いランドセルに戸惑ったという箇所で、もう思いっきり共感しました。ちょっと泣きそうなくらい。

今は性別で持ち物の色が決められるということもずいぶん減ったんじゃないかと思うんですが、私が子供の頃は何でも「男女別」に分けられている時代でした。男の子の色は青や黒で、女の子の色は赤かピンク。

小学校三年のときに、お習字の道具を購入したんですが、女の子用の道具入れがですね、なんとも趣味の悪い赤だったんです。いや、赤とも朱色ともつかない、くすんだダサい色で。私はその色が見るのもイヤなくらい嫌いだったんですよ。で、「黒がいい」と断固として主張しまして。

当然のごとく、それは男の子用のものでした。でも、ダサい赤より黒のほうがずっとカッコイイ。母は「本当にいいの?」と念を押してきたのですが、私が強く黒を望むので、それ以上は何も言いませんでした。

私はダサい色の道具入れを持たずにすんだので、とてもうれしかったのですが、まさかその後、とんでもない不便を強いられることになろうとは思いもしませんでした。

お習字道具は硯とか文鎮とか入ってて重たいので、たいてい教室に置きっぱなしにしておくのですが、その道具置き場は男女別になっていたんです。で、黒は男の子の色。私が自分の道具入れを女子の棚に置いておくと、必ず誰かが親切にも男子の棚に移動させてくれるんです。悪いことに、絵の具入れと違って、お習字道具入れは表に名前が入っていないので、一見したところ、誰のものかわからない。まあ、仕方のないことだったと思います。

何度か「これ、黒だけど私のだから!」と女子の棚に戻す、というプロセスを経て、ようやく赤い道具入れの中にぽつんと黒い道具入れがある、という状況を作れるのは一学期が終わる頃。これを中学二年までの五年間、繰り返しました。

教訓。周囲の状況に逆らって、自分の好みや趣味を押し通すと、不便さや煩わしさを覚悟しなければならない。

まあ、私の場合は単なる好みの問題だったし、自分の我が儘が招いた事態だとわかっていたので、不便さ煩わしさにも甘んじたわけですが。

これが好みや趣味の問題でもなく、本人にも何の責任がないとしたら、相当、しんどいだろうなあ、と。いや、性別の問題と好みの問題をごっちゃにするつもりはないです。ただ、自分の我が儘とわかっていてもストレスを感じたんだから、少なくともそれよりずっとずっと苦痛だろうということは容易に想像できる。

このところ、性同一性障害での性別変更が続けて報道されましたが、それに対して、必ずといっていいほど、甘えだとか我が儘だとか言う人がいるんですよね。全然違いますから、それ!

話が脱線しましたが、こういう本が世に出ることで、「体と心の性別が一致しない人たちがいて、そういう人たちが本来の性別を選択するのは当たり前のことなんだ」という考えが一般的になればいいと思います。

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