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2013年4月 5日 (金)

電書に関する個人的メモ

タイトルのとおり、メモです(なので、読みにくいと思います。自分でわかればいいや、的な文章なので。ゴメンナサイ)。電子書籍に完全に慣れてしまって、今の感覚を忘れてしまう前に記録しておこうと思った次第。私的にちょっとした発見があったので。

使用したハードはiphone。Kindle(電子ペーパーのヤツ)は、私は目が疲れて使えませんでした。ページめくるたびに画面が暗転するのがどうにもつらくて。そのうち慣れるかとムリして続けたら頭痛で寝込むハメに陥り、とうとう断念。

で、読んだのは、横山秀夫著『64(ロクヨン)』と首藤瓜於著『脳男』の2冊。たまたまどっちも未読だったのと、おそらくどっちも確実に面白いはず、と踏んだので(いや、万が一、好みに合わない小説だった場合、それが内容によるものなのか、電子書籍というハードによるものなのかがわからなくなるので、確実に楽しめるであろう小説を選んだのです)。

短編や連作はすでに電子書籍で読んでいましたが、長編は初めてでした。

で、まず『64』から読み始めて。中身は予想どおり文句なしに面白いし、私好み。これまでこの著者の本で面白いと思わなかったことは一度もないので、まあ、わかっていたことではありますが。

が。読み進めるうちに、何やらものすごく落ち着かなくなってきて。最初、自分でもなんでこんなに落ち着かないのか、というか不安になるのか、わかりませんでした。それで、いったん中断して、ちょっと時間を置いて気持ちを落ち着けて、もう一度画面を開いて。それで理由がわかりました。現在のページ数(というかパーセンテージ)が表示されたので。

私、ミステリを読むとき、それまで読んだページの厚さによってストーリーの展開を予測しながら読んでいたんです。ほとんど無意識のうちにというか、脳じゃなくて手で考えるというか。

たとえば、「今は全体の×割だから、犯人はここまでに登場した人物の中にいる」「×割まで来たから、ここから登場する人物は犯人ではない」「この時点で起きたイベントは後半で必ず主人公を危機的状況に追い込む」「まだ×割残っているから、最低でもあと一捻りある。もしかしたら二捻りくらい」とか、そういうことをぼんやりと頭の片隅に(というか手のひらに)置きつつ。

たぶん、ミステリを読み慣れている人々の大半が同じことをしているんじゃないかと思います。いちいちページ数を確認することなく、手に持った本の感触で、いわゆる「ミステリのお約束」を押さえながら、読んでいるんじゃないかと。

ところが、電子書籍は当たり前ですが手で持っただけでは、自分がどの辺りを読んでいるのかがわからない。画面を指でつっついて表示させれば全体の何%まで読んだのかはわかりますが、いちいちそれをやるのは面倒です。なので、わからないまま読む。すると、自分の立ち位置がわからなくなって、不安になる……。

実際、『64』の終盤では、どうにも我慢できなくなって、ひっきりなしにパーセンテージを表示させて「立ち位置」を確認せずにいられませんでした。

『脳男』のときには、我慢して我慢してパーセンテージを表示させずに最後まで読んだのですが、自分がどこまで読んだのかがわからなかったせいで、「え? ここで終わり? ウソ!?」といきなり放り出されたような感覚を味わいました。なるほど、紙の本のときには「次のページでラストだな」と心の準備をしてから最後のページを読んでいたわけですね。「まもなく××駅です」というアナウンスを聞いて降りる準備をするみたいな。

自分がどんなふうにミステリを読んでいるか、紙の本だけを読んでいたら気づかなかったと思います。だって、手に持った本の厚み云々なんて、全く意識していなかったわけだから。物理的にページをめくらない電子書籍を読んで、それがわかったというのが面白いなあ、と。

電子書籍に慣れてしまったら、「自分の立ち位置がわからない」のは不安でも不快でもなくなるんでしょうか。それとも、その不安感や不快感は決して解消されないのでしょうか。まあ、人間は「慣れる」生き物だから、前者だとは思いますが。

本当は、こういった電子書籍の特性を生かした「電書でなければ成立し得ないミステリ」が書ければ商売になるんでしょうが、今のところ思いつきません。思いつけばいいなあ……。

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